慶州 南山 茸長寺谷 三重石塔と 石仏(경주 남산 용장골)
住所:慶州市 内南面 茸長里 山경주시 내남면 용장리 산 1-1)
木魚、念仏の音の鳴り止まない仏国浄土茸長谷!!!
慶州 南山 茸長渓谷は、金鰲峰と高位峰の間の深い谷で、その尾根や山すそには、茸長寺址など22ヶ所の寺院跡、7基の石塔、三輪台座仏など5体の石仏像、そして多くの説話が伝わっています。
茸長(ヨンジャン・용장)という名称は、この渓谷に新羅時代の寺院、茸長寺があったことから名付けられ、渓谷の長さが約3kmあり、南山で一番大きく深い谷間で、渓谷に流れる水と自然の美しい風景が調和して多くの人が訪れる場所です。
茸長村入口から出発して、雪岑橋(ソルジャムギョ・설잠교)まで約1.8km、ゆるやかな上り道は、渓谷に沿って長く続き、流れる水音と森から聞こえてくる自然の音を友に、ゆっくり楽しみながら登ることができます。
雪岑橋を渡って約400m、竹林の道を通ると茸長寺址があり、ここから山の上を見上げると、空を背景に仏陀の世界にそびえ立つ石塔が見えてきます。
茸長谷は統一新羅全盛期の仏教文化と金鰲神話*の著者、梅月堂 金時習(キム·シスプ、1435~1493)の夢が託された場所で、昔からの多くの説話が伝わっています。
*金鰲神話:韓国最初の漢文小説
茸長寺谷 三重石塔・용장사곡 삼층석탑
文化財指定:宝物 第186号
遥かなる雲の上、天国の仏陀の世界にそびえる塔!!!
茸長寺址の東の稜線上に位置する茸長寺谷 三重石塔は、約400mの高くて大きな岩山全体を下層基壇とし、自然と調和して建築された3重石塔です。下層の基壇の岩山が8万由旬*の高い須弥山**なら、岩山の頂上は四天王天です。まず、基壇は忉利天***で、その上に段々と築いた塔身は、天国の仏の世界を表したものです。
塔は、岩山全体の自然岩石を基壇とし、その上に四隅と中央に柱の彫刻を彫り、2枚の板石をかぶせて基壇を仕上げました。 塔身の1層目の石材はかなり高く、2階からは急激に減っています。屋根石は、下面にある支えが4段で、軒は直線となる場所から持ち上げています。上部にある相輪部は消失し、本来の状態は不明で、鉄の棒を差していた穴だけが残っています。周辺に倒れていたものを1922年に復元し、この塔は巨大な岩山を下層基壇とし、自然と造形物が一体となっていて、下から見上げると空を背景に仏の世界にそびえる感動の塔です。統一新羅時代の8世紀後期の代表的な石塔です。
空に向かってそびえ立つ塔と南山の美しい風景を背景に、止まったポーズで思い出とともにインスタグラムに残そうとする登山客たちの人気のフォトジェニックスポットとなっています。
*由旬:古代インドの距離の単位の一。1由旬は、牛車の1日の行程。
**須弥山:仏教の宇宙観では、宇宙の中心にある巨大な山。
***忉利天:六欲天の第二。須弥山の頂に位置し、閻浮提の上にある天界。中央の喜見城に帝釈天が住み、四方の峰に八天があるので、三十三天ともいう。
茸長寺址 磨崖如来坐像・용장사지
마애여래좌상
文化財指定:宝物 第913号
この磨崖仏は、三輪台座仏像の裏側、巨大な自然岩壁の南側に、美しい蓮華が刻まれた台座の上に結跏趺坐をして衆生を見ていらっしゃいます。
バランスの取れた身体に整った目鼻立ちが際立ち、顔は豊満で穏やかな笑みを浮かべ、耳は目から首までと大きく長く、髪は小さなサザエの形をした螺旋状に表現されています。首には3本の線で表現された三道*がはっきりみえます。
お釈迦様の袈裟は、中が透けてきそうな薄い感じで、シワの線は平行線で繊細に表現されています。手印は降魔触地印**で、右手を膝の上に乗せて、指先は地面に向かっていて、左手は腹の部分に置かれています。頭の光背と体の光背は2本の線で表現しています。
保存状態も良好で、8世紀後半に造成された優れた磨崖仏という評価を得ています。
*三道:1.三悪道(地獄・餓鬼・畜生)。2.惑・業・苦のこと。
**降魔触地印:仏が悪魔を降伏させる印相。
茸長寺谷 石造如来坐像・용장사곡 석조여래좌상
文化財指定:宝物 第187号
この石仏像は韓国で類を見ない、三輪台座の上に弥勒丈六像がのせられた珍しい構造で、頭部は消失して残っていません。
自然石の上面を均等に加工して基壇とし、その上に高さ1mの丸く削った太鼓の形の中台石と、おぼんの形をした丸い盤石を3段に積み上げました。一番上の丸い盤石の台座には華やかな蓮華模様が刻まれ、その上に結跏趺坐をした仏像がのせされています。
石仏像の高さは1.41mで、台座の高さは3mに達します。袈裟は両肩を包んでおり、服の裾は波のようにゆらゆらと蓮華台座の上部まで流れ、胸は斜めに隠して結び目は美しく彫り、まるでレースがかかっているかのようにリアルに表現されています。
古書『三国遺事*』によると、「昔、茸長寺に瑜伽宗**の大徳で”大賢僧侶”がいらっしゃったが、その寺には弥勒丈六石像があり、大賢僧侶がその弥勒菩薩様に祈りながら回ると、弥勒菩薩様もまた大賢様に真似て首を傾けた。」という珍しい話が伝わっています。
仏像の下層の自然石基壇は須弥山で、その上の最初の丸い盤石は帝釈天王の忉利天、二つ目の盤石は夜摩天***となり、最後の蓮華台座は弥勒菩薩様がいらっしゃる兜率天****を形象化したものです。この仏像は、新羅時代の服飾史を研究する上で重要な資料となっています。統一新羅時代、8世紀半ばの全盛期時代の優れた仏像です。
*三国遺事:1285年に一然, 僧侶が書いた5巻3冊の歴史書。
**瑜伽宗:インド大乗仏教の一宗派 。弥勒の瑜伽師地論を中心にインドで形成された。
***夜摩天:六欲天の第三。忉利天の上方にあり、天人は五欲の楽を受ける。寿命は2000年で、その一昼夜は人間界の200年にあたる。炎天。
****兜率天: 六欲天の第四天。内院と外院があり、内院は将来仏となるべき弥勒菩薩が住するとされ、外院は天衆の住む所とされる。都史多天。
茸長寺址・용장사지
茸長寺は、この渓谷で一番大きな寺院でした。茸長寺跡の東にある高い岩の上に、青空を背景に三重石塔がそびえ立っており、三重石塔の下には三輪台座仏と磨崖如来像がおかれています。茸長寺は、統一新羅時代、法相宗を開創した大賢僧侶が修行した場所であり、朝鮮時代の大学者、比丘雪岑僧侶(梅月堂 金時習、1435~1493)が韓国初の漢文小説である金鰲神話を執筆したところで有名です。大賢僧侶が祈りを捧げながら三輪台座仏を回ると、仏も頭を下げたといわれ、その後ろの岩に刻まれた磨崖如来坐像は今も穏やかな笑顔で娑婆世界を見下ろしています。
茸長寺はいつから廃寺となったのかは不明ですが、朝鮮初期、金時習僧侶がここに長く滞在して執筆した記録から、朝鮮時代中期までは寺院があったことが分かります。現在は寺院跡の築台と瓦の彫刻だけが廃寺に残っています。
[旅行 Tip]
茸長村の入口から出発し、雪岑橋~茸長寺址~石造如来坐像と磨崖如来坐像~三重石塔などの遺跡を見学後、茸長村に戻ると約3時間かかります。
茸長寺谷 三重石塔から山の稜線を越えて、三花嶺~七仏庵 磨崖仏像群~烽火谷~東南山、又は金鰲峰~三陵谷仏像群~三稜を一周することもでき、仏様の世界が広がる南山の魅力を感じることができます。
南山 茸長谷コースは岩山でアップダウンがあったり、木の根、石段が多いところです。ハイキング服装とハイキングシューズがおすすめです。リュック、帽子、雨具、手袋、お弁当と飲料水、ガイドマップを用意すれば、もっと安全に楽しめます。
[公共交通機関]
慶州市内バス: 500,506,508番、慶州市外バスターミナル バス停(または高速バスターミナル駅)から 内南回り(慶州市 内南面行き)の市内バスに乗り, 茸長里の 茸長交番バス停下車。 約30분所要、運行間隔は20分毎。タクシー料金は約12,000~17,000ウォン。